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東京高等裁判所 昭和33年(ネ)2019号 判決 1960年3月14日

控訴人(附帯被控訴人) 園田清之

被控訴人(附帯控訴人) 今井とし

主文

控訴人園田清之の本件控訴を棄却する。

原判決主文第一項中控訴人園田清之関係部分を次のとおり変更する。

控訴人園田清之は被控訴人今井としに対し、別紙目録記載の平家一棟(但し、別紙図面斜線区画の部分を除く。)及び同目録記載の工場一棟を明渡すべし。

附帯控訴に基き、附帯被控訴人園田清之は控訴人今井としに対し、金七百八十四円及び昭和三十二年八月一日以降昭和三十三年三月末日まで一箇月金一万一千円の割合、昭和三十三年四月一日以降同年六月末日まで一箇月金一万三千円の割合、昭和三十三年七月一日以降前項の建物明渡済に至るまで一箇月金一万四千円の割合による金員を支払うべし。

附帯控訴人のその余の請求を棄却する。

当審における訴訟費用は控訴人(附帯被控訴人)の負担とする。

本判決主文第三、第四、第六項は、被控訴人(附帯控訴人)において、家屋明渡の部分につき金二十万円、金員支払の部分につき金十万円の担保を供するときは、仮にこれを執行することができる。

事実

控訴人(附帯被控訴人、以下控訴人という。)訴訟代理人は「原判決中控訴人に関する部分を取消す。被控訴人の控訴人に対する請求を棄却する。被控訴人の控訴人に対する附帯控訴に基く請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人(附帯控訴人、以下被控訴人という。)訴訟代理人は、「本件控訴を棄却する。附帯控訴に基き、控訴人は被控訴人に対し、金一万四百二十四円及び昭和三十二年八月一日以降昭和三十三年三月末日まで一箇月金一万一千円の割合、昭和三十三年四月一日より同年六月末日まで一箇月金一万三千円の割合、昭和三十三年七月一日以降本訴建物明渡済に至るまで一箇月金一万四千円の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決並びに建物明渡及び金員支払の各請求につき仮執行の宣言を求め、なお明渡を求める建物中別紙図面斜線区画の部分約八坪二合五勺に対する明渡の請求を当審において放棄した。被控訴人訴訟代理人は、請求の原因として、

「被控訴人は、昭和二十七年十一月四日その所有する別紙目録記載の建物二棟を訴外石島昌吾に対し、代金は金六十万円、内金二万円は即時に支払い、残金五十八万円は同年十二月十五日以降毎月十五日に金二万円宛の割合で分割弁済すべく、右分割弁済を六回分以上延滞したときは、被控訴人において催告を要せず売買契約を解除できる約旨の下に売渡し、即時右家屋を石島昌吾に引渡した。同年十二月下旬控訴人は、石島昌吾及び被控訴人と三名間の合意により、右売買契約に基く石島昌吾の買主としての権利義務を承継し、石島昌吾は右売買関係より脱退して建物を控訴人に引渡した。しかるに控訴人は昭和二十八年六月分以降の月賦金の支払をしなかつたので、被控訴人は同年十一月二十七日石島昌吾に対し右売買契約を解除する旨を通知し同人を通じて控訴人にもこれを知らせたが、更に原審において、昭和二十九年八月二十七日附準備書面中に、控訴人に対し右売買契約解除の意思表示をなす旨を記載し、右書面は同日の原審準備手続期日に控訴人の代理人に交付送達されたから、これにより本件売買契約は解除された。よつて被控訴人は、現に右家屋を使用占有している控訴人に対し、契約解除による原状回復義務の履行として本件建物(但し、訴外伊藤栄太郎の占有している六畳間関係部分すなわち別紙図面斜線区画部分約八坪二合五勺を除く、以下同じ。)の明渡を求め、かつ右契約解除後家屋明渡済に至るまでの間の質料相当の損害金中被控訴人が後記のとおり有益費償還義務と相殺した残金すなわち昭和三十二年七月分の内金一万四百二十四円及び昭和三十二年八月一日以降昭和三十三年三月末日まで一箇月金一万一千円の割合、昭和三十三年四月一日以降同年六月末日まで一箇月金一万三千円の割合、昭和三十三年七月一日以降本件建物明渡済に至るまで一箇月金一万四千円の割合による金員の支払を求める。なお本件建物は実測延べ面積三十坪を超えるから昭和三十一年七月一日以降は地代家賃統制令の適用を受けない。当初売渡した建物中別紙図面斜線区画の部分約八坪二合五勺は現在訴外伊藤栄太郎が居住し控訴人の占有には属しないから、原審における家屋明渡の請求中この部分に関するものは当審において請求を放棄して減縮する。」

と陳述し、控訴人の抗弁に対し、

「被控訴人と石島昌吾との間の本件建物売買契約が合意解除されたこと及び被控訴人と控訴人との間に右建物につき新たな売買契約が締結されたことは、いずれも否認する。控訴人は被控訴人主張のとおり被控訴人と石島昌吾との間の売買契約関係を承継したものであり、そのことは控訴人が原審において自白したところであつて、控訴人が当審において右自白を取消すことには異議がある。被控訴人が本件建物の敷地の所有者をして右敷地の地代を据置かせるため控訴人とその主張のような特約をしたことは否認する。被控訴人が本件契約解除前既に受領した月賦金十四万円については、本件売買契約において、契約が買主の責に帰すべき事由により解除されたときは買主が既に支払つた月賦金は買主の損失に帰する旨の特約があるから、右契約が控訴人の代金債務不履行により解除された以上、被控訴人には右金員を返還する義務がない。控訴人が本件建物に増改築を施しその費用として金十八万二千円を支出したことはこれを認めるが、右金額を超えてそれ以上の費用の支出があつたことは否認する。控訴人が支出した有益費については、被控訴人は支出費用額の償還と現存増価額の償還との内支出費用額の償還の方を選択し、その支出費用額は金十八万二千円であるから、被控訴人は控訴人に対して有する本件契約解除後昭和三十二年七月まで本件建物の賃料相当の損害金請求権の内右金額に満つるまでの分すなわち昭和二十九年九月一日以降同年十二月末日まで一箇月金二千七十八円の割合、昭和三十年一月一日以降昭和三十一年六月末日まで一箇月金二千二百八十四円の割合の各地代家賃統制令による統制家賃相当額、同年七月一日以降昭和三十二年六月末日まで一箇月金一万一千円の割合による同令の制限を受けない賃料相当額及び同年七月分の同一割合による賃料相当額の内金五百七十六円以上合計金十八万二千円の損害金請求権を以て対当額につき相殺する旨昭和三十四年七月八日の当審口頭弁論期日において意思表示をした。従つて被控訴人の控訴人に対する有益費償還義務はこれによつて消滅し、控訴人はもはや留置権を有しない。仮に控訴人が右金額以上の有益費を支出したとしても、そのなした増改築は被控訴人の承諾を受けることなく、通常予想できる程度以上の過大な工事をなしたものであつて、控訴人の建物使用保管をなし得る限度を超えたものであるから、これに要した費用は有益費ということができない。仮にそうでないとしても、本件売買契約においては契約解除の場合には建物を無条件で返還する旨の特約があるから、被控訴人にはその自認する限度を超えて有益費を償還する義務はない。仮に被控訴人が前記十八万二千円の限度を超える有益費償還義務を免がれないものとすれば、被控訴人はその部分については支出額と現存増価額の内支出額の償還を選択し、かつこの超過額の償還義務については相当の期限を許与することを裁判所に請求する。よつて裁判所の許与する期限の到来するまでは被控訴人は右償還義務を履行する必要なく、従つて控訴人は本訴建物につき留置権を行うことを得ない。」と述べ、

控訴人訴訟代理人は、答弁として、「別紙目録記載の建物がもと被控訴人の所有であつたこと、昭和二十七年十一月四日訴外石島昌吾と被控訴人との間に右建物につきその主張のような売買契約が締結され、その建物の引渡があつたこと、控訴人において右建物の引渡を受けたこと、控訴人が昭和二十八年六月十五日以降に支払うべき分割弁済金の支払をしなかつたこと、同年十一月二十七日被控訴人より石島昌吾に対し売買契約解除の通知があり次いで控訴人の代理人が昭和二十九年八月二十七日の準備手続期日において被控訴人主張の準備書面の交付送達による契約解除の意思表示を受けたこと及び控訴人の占有する本件建物部分の実測面積が三十坪を超えることは、いずれもこれを認めるが、控訴人が被控訴人と石島昌吾との間の売買契約における石島昌吾の買主としての権利義務を承継したことは否認する。控訴人は原審において右承継の事実を自白したけれども、右は真実に反しかつ錯誤によるものであるからこれを取消す。石島昌吾は昭和二十七年十二月下旬頃被控訴人との間で前記売買契約を合意解除したので、控訴人はその頃新たに被控訴人より直接に前記建物を代金六十万円、その内未払代金五十六万円は昭和二十八年一月以降毎月二万円宛分割弁済すべき旨の約旨で買受け、その所有権を取得した。この売買は被控訴人主張の売買とは別個のものであるから、被控訴人主張の売買契約解除の意思表示はその対象を誤つているものであり、これによつて控訴人との間の売買契約が影響を受ける謂れはない。又被控訴人と控訴人との間の売買契約においては、石島昌吾との売買契約のような月賦金延滞の場合の解除権留保の特約はないから、被控訴人は控訴人の月賦金延滞を理由として、催告をなさず直ちに売買契約を解除することはできない。仮に被控訴人主張のように控訴人が石島昌吾の買主としての権利義務を承継したとしても、控訴人と被控訴人との間においては、被控訴人が前記建物の敷地の所有者訴外岡部中次郎と交渉してその地代を被控訴人借地当時の地代額である一箇月金八百円の割合の金額に据置かせる旨の特約があつたところ、その後昭和二十八年四月岡部中次郎より控訴人に対し、建物敷地の地代を一箇月金二千円に値上する旨の請求があつたにもかかわらず、被控訴人はこれを知つて放置し、右地主との間に地代据置の交渉をなすことを怠り、その義務を履行しないから、控訴人においても分割弁済金の支払につき遅滞の責を負わない。従つて分割金債務の不履行を理由とする契約解除は無効である。仮にそうでないとしても、控訴人は昭和二十八年六月十五日に支払うべき月賦金二万円を同年八月末に被控訴人方に持参して現実に弁済の提供をしたけれども、被控訴人は、延滞中の三回分の月賦金合計六万円の弁済を要求して右金二万円の受領を拒絶し、その後も延滞金は全部一時に支払われない限り受領しない旨予めその受領を拒絶した。従つて控訴人はこれにより残代金債務につき遅滞の責を免かれたものであり、控訴人の月賦金延滞を理由とする被控訴人の契約解除の意思表示は効力を生じない。仮に被控訴人のなした契約解除が有効とすれば、控訴人は被控訴人に対し既に支払つた月賦金合計十四万円の返還を請求することができるから、右金員の返還を受けるまでは本件建物を被控訴人に返還する義務がない。又、控訴人は石島昌吾が被控訴人より本件建物を買受けると同時に被控訴人の承諾を得て右建物に引移り居住し、かつこれをボール箱製造の事業場とするため、被控訴人の承諾を得て、昭和二十七年十一月から昭和二十八年一月頃までの間に、その北西部六畳及びその附近を改造して六坪二合五勺の事業場となし、台所、風呂場を改造し、既存の腐朽した板等を取換え、床を新材を以て、補強して五坪の板敷とし、玄関及びその土間を改造して板張の事業場となし、これらのためにその費用として金二十万円を支出し、昭和二十八年一月頃より同年十一月二十七日までの間において従来土間又は空地であつた部分に二十三坪四合二勺の増築工事を施し、その費用として金五十万円を支出し、昭和二十七年十一月四日より昭和二十八年十二月頃までの間に雨漏の修理及び瓦の葺直し等をしてその費用金一万二千円を支出し、同じ頃座敷の障子十二本を取換えてその費用金一万二百円を支出し、以上合計金七十二万二千二百円の有益費を支出した結果本件建物は価額増加し、現に金五十六万八千八百五十円の増価額が現存しているから、その償還を受けるまで本件建物を留置する。仮に控訴人に被控訴人主張のような賃料相当の損害金支払の義務があるとすれば、控訴人は被控訴人に対し前記のように既に支払つた月賦金十四万円の返還請求権を有するから、これを以て被控訴人主張の損害金と対当額につき本訴において(昭和三十四年七月八日の口頭弁論)相殺する。」と述べた。

証拠として、被控訴人訴訟代理人は、甲第一号証、第二号証の一、二及び第三号証から第七号証までを提出し、原審及び当審証人石島昌吾、同今井三郎、当審証人豊田次郎の各証言、原審及び当審における各検証の結果、当審鑑定人大熊賢哉、同平沼薫治の各鑑定の結果並びに原審及び当審における被控訴人今井とし本人尋問の結果を援用し、乙第一号証の成立を認め、控訴人訴訟代理人は、乙第一号証を提出し、原審証人園田トシコ原審及び当審証人石島昌吾、同豊田次郎、当審証人岡部中次郎、同安部貫一、同今井三郎の各証言、原審及び当審における各検証の結果、当審鑑定人大熊賢哉の鑑定の結果、当審における被控訴人今井とし本人尋問の結果並びに原審及び当審における控訴人園田清之本人尋問の結果(当審は第一、二回)を援用し、甲第三号証から第五号証までの成立は不知、そのほかの甲号各証の成立を認めると述べた。

理由

別紙目録記載の建物二棟が被控訴人の所有であつたこと、被控訴人が昭和二十七年十一月四日右建物を代金は金六十万円、その支払方法は契約成立と同時に金二万円を支払い残金は同年十二月以降毎月十五日に金二万円宛の割合で月賦弁済すること月賦金の支払を六箇月分以上延滞したときは、売主は催告を要せず契約を解除することができる旨の約定で訴外石島昌吾に売渡し、建物の引渡をしたこと及び控訴人が右建物(但し平家一棟の内別紙図面斜線区画の部分を除く。)を現に占有していることは当事者間に争がない。

被控訴人は、控訴人が同年十二月下旬石島昌吾及び被控訴人との三名間の約定により右売買契約における買主の権利義務を承継し買主となつたと主張し、右事実は原審においては控訴人の自白したところである。控訴人は、当審において右自白を取消し、被控訴人と石島昌吾との間の右売買契約は、同年十二月下旬両名間の合意により解除せられ、同時に被控訴人と控訴人との間に新たに右建物の売買契約が成立したと主張するけれども、この点に関する当審証人安部貫一の証言及び当審における控訴人園田清之本人の供述(第一回)は採用し難く、他に控訴人の前記自白が真実に反することを認めるに足りる証拠がないから、右自白の取消は許すべきでない。

そうして控訴人が昭和二十八年六月十五日以降に支払うべき分以後の右月賦金の支払をしなかつたことは当事者間に争がない。

控訴人は右六月十五日に支払うべき月賦金二万円はこれを同年八月末日控訴人から被控訴人に対し現実に弁済のため提供したけれども、被控訴人は延滞月賦金全額の弁済を要求してその受領を拒絶したから、控訴人においてはその時以後未払代金につき遅滞の責がない旨抗弁するけれども、仮に右のような事実があつたとしても、控訴人の右提供当時は既に月賦金三回分の弁済期が到来していたことが明らかであり、被控訴人はその意に反して一部弁済の受領を強要されるべき理由はないから、僅に一回分だけの月賦金の弁済の提供は債務の本旨に従つたものということを得ず、控訴人はその提供によつては遅滞の責を免かれないものというべきであり、控訴人の右抗弁は理由がない。

控訴人は、被控訴人において本件建物の敷地の所有者訴外岡部中次郎に交渉して控訴人のため右敷地の地代を従前のままに据置かせることを特約したにもかかわらず、右特約を履行しないから、控訴人においても月賦金につき遅滞の責がないと抗弁するけれども、かような特約の存在することを認めるに足りる証拠がないから、この抗弁もまた採用できない。

従つて、控訴人が昭和二十八年六月十五日に支払うべき分以降六箇月分の月賦金の支払を怠つたことになる同年十一月十六日以降は、被控訴人は、前記特約に基き、右売買契約を解除できるものというべきである。

なお前掲建物中別紙図面斜線区画により表示される六畳間附近約八坪二合五勺は、控訴人において現実にこれを占有していないことは、被控訴人の自認するところであるけれども、成立に争のない甲第一号証、原審における検証の結果、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果(当審は第一回)並びに当審における被控訴人本人尋問の結果を総合すれば、右部分には本件売買契約成立以前から引続き現在に至るまで訴外伊藤栄太郎が居住しており、本件売買はその現状を前提としてなされ、同人に対する関係は買主の負担とし被控訴人において責任を負わない約旨であつたことが認められるから、右表示部分の占有状態がそのようであることは買主の代金支払義務には影響なく、従つて被控訴人の売買契約解除の権限にも支障を及ぼさないものというべきである。

そうして、被控訴人が、原審に本件係属中昭和二十九年八月二十七日附準備書面中に、控訴人の月賦金延滞を理由として本件売買契約を解除する旨の意思表示を記載し、右書面が同日の準備手続期日において控訴人訴訟代理人に交付送達せられ、かつ同日の準備手続において右書面に基く陳述がなされたことは記録上明白であるから、これによつて右売買契約は解除され、控訴人は、原状回復義務の履行として本件建物を被控訴人に明渡す義務を負うこととなつたものである。

控訴人は、本件売買契約の解除により被控訴人に対し既に支払われた月賦金十四万円の返還を請求する権利があるから、その支払を受けるのと同時でなければ本件建物を明渡す義務がないと抗弁するけれども、前記甲第一号証によれば、右売買契約においては代金の月賦弁済を六箇月分以上怠つたことにより契約が解除される場合には買主においては既に支払つた代金の返還を請求できない旨の特約があることが認められ、右甲第一号証によつて認められるように、本件売買契約における代金の支払方法が長期間にわたる月賦弁済の方法で定められ、第一回の月賦金二万円が契約成立と同時に支払われたほかには手附金、内金その他の一時金の支払もなく、かつ、契約成立と同時に目的建物は買主に引渡されてその使用に委ねられ、代金の支払完了に至るまでその建物の使用の対価を支払う必要もないこと等の事情を考慮すれば、六箇月分以上も月賦金の弁済を怠つたため契約が解除される場合には買主が既に支払つた月賦金の返還を請求できないものとする右特約は、売主が右のような諸条件の下において買主による契約の履行を確保する手段としては首肯できるものであり、必ずしもこれを以て買主に過当な義務を課し売主に不当な利得を与えるものともいい難いから、これを有効なものと解すべく、(もつとも控訴人においても特にこの特約の無効を主張しているわけではない。)従つて控訴人には既に支払つた月賦金の返還を求める権利はないので、この点に関する控訴人の抗弁は理由がない。

控訴人は、本件建物の改造及び増築のため金七十二万二千二百円に上る有益費を支出し、その価額の増加が現存するから、現存価額金五十六万八千八百五十円の償還を受けるまで右建物を留置すると抗弁するので考えるに、原審証人園田トシコ、原審及び当審証人豊田次郎、同今井三郎の各証言原審及び当審における検証の結果並びに原審及び当審における控訴人園田清之(当審は第一、二回)及び被控訴人今井とし各本人尋問の結果を総合すれば、控訴人は右建物の引渡を受けて後、前記契約解除の時に至るまでの間に、大工訴外豊田次郎に依頼して、昭和二十七年十一月中には建物に接続して工場向きの五坪程度の土間を増築し、建物の一部の床を板張りとなし、同年十二月中には台所を修理し、そこにあつた風呂場を取払つて板張りに改造し、昭和二十八年五月中には玄関を改造し、同年八、九月頃には更に南方板敷の外側に三尺巾の増築をなし玄関の外側にも増築して一続きの事業場となし、さきに増築した工場の土間にコンクリートを打ちその他、右各工事と前後して座敷の障子の一部を取換え、本屋と附属建物との間の空間部分に雨漏を防ぐ工事をしてその場所をも事業場に使用することができるようにする等数次にわたり自己の紙箱製造業に便するための模様替及び増改築をなし、これらの増築部分は売買の目的たる建物に附加して一体物となつていることが認められ、その費用額は原審証人豊田次郎の証言によれば総計約十八万一千円程度に達することを認めるに足りるから、右は本件建物につき支出された有益費と解すべく、当審鑑定人大熊賢哉の鑑定の結果によれば、これによる価額の増加が現存すること明らかであるから、控訴人は、本訴において被控訴人が選択したところに従い、被控訴人に対し、右支出金の償還を請求することができるところ、その金額は前記のとおり約十八万一千円程度でその正確な数額を明らかにすることのできる文書その他の資料はないけれども、被控訴人において、右の限度を超え金十八万二千円の償還義務を自認しているので、控訴人は被控訴人に対し右金額の償還を請求することができたわけである。

被控訴人は、右有益費償還義務は、被控訴人が控訴人に対して有する右家屋の賃料相当の損害金と相殺することにより消滅したと主張するのでこの点を検討する。控訴人は右有益費の償還を受けるまで本件家屋を留置することができるけれども家屋の留置権者は当然留置物たる家屋を無償で使用収益する法律上の権利を取得するものとはいえないから、控訴人は本件家屋を留置中これを使用収益することにより法律上の原因なくして利得をすることになり、一方被控訴人はその所有する家屋の利用をなすことができず損害を被むるのであるから、控訴人は被控訴人に対しその使用収益によつて得た利得を不当利得として返還する義務があり、その利得の額は右家屋を他人に賃貸した場合の賃料相当額にも等しいものと推認すべきであり、被控訴人が相殺の自動債権として賃料相当の損害金と称するものも、控訴人が留置権に基いて右建物を留置できる期間中の分はこの不当利得返還請求権を指すものと解することができる。よつてその額を見るに、控訴人が居住し占有使用している本件建物(別紙図面斜線区画部分を含まないことは当初指摘のとおりである。)二棟の実測面積が延べ三十坪を超えることは当事者間に争のないところであるから、これについては昭和三十一年六月末日までは地代家賃統制令の適用があるけれども、同年七月一日からはその適用を受けなくなつたものと解すべきところ、成立に争のない甲第六、第七号証によれば、本件建物及びその敷地には固定資産課税台帳に登録された価格があり、本件建物二棟の内木造瓦葺平家一棟は右台帳上建坪二十九坪四合五勺とされていて、昭和二十九年度より昭和三十一年度までの価格が金二十三万三千二百円であり、その敷地の価格は昭和二十九年度は金二十五万二千五百六十円、昭和三十年度及び昭和三十一年度は金三十二万八千二百四十円であることが認められるので、これに地代家賃統制令、同施行規則及びこれらに基くそれぞれ当該年度に適用される建設省告示の条項に従つて本件建物の統制賃料額を計算すれば、別紙計算書のとおり、

昭和二十九年九月一日より同年十二月末日までは一箇月 金千六百七十五円

昭和三十年一月一日より昭和三十一年六月末日までは一箇月 金千八百三十八円

となる。又当審鑑定人平沼薫治の鑑定の結果によれば、右家屋につき地代家賃統制令の適用がなくなつて後のその賃料相当額は、昭和三十一年七月一日より昭和三十二年三月末日までは一箇月金一万一千百十円、昭和三十二年四月一日より昭和三十三年三月末日までは一箇月金一万一千八百十円、昭和三十三年四月一日より昭和三十三年六月十三日まで一箇月金一万三千七百十円、昭和三十三年六月十四日以後は一箇月金一万四千百四十円となることが認められるところ、被控訴人は計算の便宜から端数等を削減し、右鑑定金額の範囲内でその賃料相当額を

昭和三十一年七月一日より昭和三十三年三月末日までは一箇月 金一万一千円

昭和三十三年四月一日より同年六月末日までは一箇月     金一万三千円

昭和三十三年七月一日以後は一箇月             金一万四千円

と控え目に計算しているので、本判決もその額に従うこととし昭和二十九年九月一日(契約解除の効力発生の日はその前月中であるが、被控訴人はそれによらず、請求権をこの日から起算している。)以後の賃料相当額を計算するときは、同日以降昭和三十二年六月末日までの分の合算額に昭和三十二年七月分の内金一万二百十六円を加算したとき、その額が控訴人の有する有益費償還請求権の金額として前に認定した金十八万二千円に達する計算となる。そうして被控訴人が昭和三十四年七月八日の当審口頭弁論期日において、訴訟上の攻撃防禦方法として、控訴人に対し、右賃料相当額の請求権を自動債権として控訴人の有する金十八万二千円の有益費償還請求権と対当額につき相殺する旨の意思表示をなしたことは当裁判所に顕著であるから控訴人の右有益費償還請求権はこれによつて消滅したものというべきである。従つて右金十八万二千円に関する限り、控訴人の留置権の主張は理由がない。

控訴人は、右建物につき支出した有益費の金額は総計七十二万二千二百円に達すると主張するけれども、前記契約解除の時までに支出せられた分については、当裁判所の認定できる金額は前記のとおり金十八万二千円に止まり、これに超える部分については、この点に関する当審証人豊田次郎の証言は原審における同証人の証言に比し具体性を欠いており、原審及び当審における控訴人園田清之の本人尋問における供述(当審は第一回)は金額が曖昧かつ浮動していて、いずれも採用し難く、他に右控訴人主張事実を認むべき資料がないので、これを採用することができない。

又、原審及び当審における各検証の結果によれば、控訴人は右売買契約解除の後においても、更に原審における検証当時以後においても、本訴建物を自己の営業に便利なように直すため盛に増改築を行つていることが認められ、右工事は少くともその一部は被控訴人のため有益なものと認むべく、これがため費用を支出したことは当然であり、これによる増価額も現存するものと推認することができるから、右有益費は本件売買契約解除後の支出に係るものではあるけれども、その解除前に支出された有益費の償還を受けるため控訴人が本件建物を留置占有している間に支出されたものである以上、控訴人はこの有益費についてもその償還を受ける権利があり、本来ならばその支払を受けるまで留置権を行うことができるはずのものである。しかしながら、この分の有益費については、その数額が明らかでないのみならず、それが売買契約解除後すなわち建物返還義務発生後、特にその一部は原審における控訴人敗訴後の支出に係るものであり、しかも専ら控訴人の営業上の便宜に供する目的で支出されている事情に鑑み、かつ、かような場合にも留置権を認めることは物の回復者の権利行使を不当に困難ならしめる結果となることを考慮し、控訴人が本件建物の明渡を完了しない間は右有益費の償還につき被控訴人のため期限を与えいまだ期限が到来しないものとする。従つてこの有益費については控訴人は本訴建物につき留置権を有せず、この部分に関しても控訴人の留置権の主張は採用できない。

以上のとおり、本件建物の明渡義務を否定しようとする控訴人の抗弁はいずれも理出がないので、控訴人は、前記売買契約の解除による原状回復義務の履行として被控訴人に対し本件建物を明渡し、かつ右明渡済に至るまで建物の賃料に相当する金員を、控訴人が留置権を行使していた間の分については不当利得の返還として、その後は明渡義務不履行による損害の賠償として、それぞれ被控訴人に支払うべき義務があるところ、右建物の賃料相当額の計算の結果は前認定のとおりであり、なお昭和三十二年六月末日までの分及び同年七月分一万一千円の内金一万二百十六円は、前記のように相殺によつて消滅したので、控訴人は被控訴人に対し昭和三十二年七月分の残額金七百八十四円及び昭和三十二年八月一日以降右建物明渡済に至るまで前掲割合による金員を支払うべきものである。

控訴人は、本件売買契約解除により被控訴人から返還を受くべき月賦金十四万円と被控訴人主張の賃料相当の損害金とを対当額につき相殺する旨抗弁するけれども、控訴人が右のような月賦金返還請求権を有しないことは、既に判示したとおりであるから、右抗弁は理由がない。

よつて被控訴人の控訴人に対する本件建物明渡の請求は理由があり、これを認容した原判決は相当であるから、本件控訴はこれを棄却すべく、ただ明渡すべき家屋につき、被控訴人は当審において一部分の請求を放棄したので、これを明らかにするため便宜原判決主文第一項中控訴人関係部分を本判決主文第三項のとおり変更し、被控訴人が当審において附帯控訴の上拡張した金員の請求は、昭和三十二年七月分については内金七百八十四円の限度においては理由があるから認容すべきであるが、その余の部分は失当であるから棄却すべく、同年八月一日以降の分はすべて理由があるからこれを認容すべきものとし、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条、第九十二条但書、第百九十六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 川喜多正時 小沢文雄 位野木益雄)

計算書

1. 建物は木造瓦葺平家一棟建坪29坪375(課税台帳上は29坪45)のみについて計算する。他の一棟(木造トタン葺平家建工場一棟建坪6坪)については資料の提出がないので計算から除外し、賃料額に加えない。

2. 昭和29年度家賃

(イ) 建物全体(伊藤栄太郎占有部分8坪25を含む。以下同じ。)の純家賃額

233,200円×3.7/1000+(24円×29.45)=1,569円

(ロ) 同上地代相当額

252,560円×3/1000=757円

(ハ) 建物全体の統制家賃額

1,569円+757円=2,326円

(ニ) 本件建物(8坪25を除いたもの)の統制家賃額

2,326円-(2,326円×8.25/29.45)=1,675円

3. 昭和30年度及び昭和31年度家賃

(イ) 建物全体の純家賃額

前項(イ)のとおり 1,569円

(ロ) 同上地代相当額

328,240円×3/1000=984円

(ハ) 建物全体の統制家賃額

1,569円+984円=2,553円

(ニ) 本件建物(8坪25を除いたもの)の統制家賃額

2,553円-(2553円×8.25/29.45)=1,838円

物件目録

東京都品川区南品川壱丁目弐百五拾弐番地

一、木造瓦葺平家 壱棟

建坪 弐拾九坪参合七勺五才

同所

一、木造トタン葺平家建工場 壱棟

建坪 約六坪

目録

東京都品川区南品川壱丁目弐五弐番地

一、木造瓦葺平家 壱棟

建坪弐拾九坪参合七勺五(斜線部分を除き、実測四〇坪二五)

一、木造トタン葺平家建工場 壱棟

建坪 六坪(実測六坪六六)

図<省略>

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